歌麿の大作『吉原の花』と『深川の雪』を観に、箱根の岡田美術館へ行ってきました。
http://www.okada-museum.com/exhibition/archives/504以前『深川の雪』は観に行ったのですが、(記事
深川の雪参照)138年振りに『吉原の花』と揃い踏みするということで、
吉原もの書きとしては絶対観ねば! となりました。
まさかこんな大作がアメリカの美術館から貸し出されるなんて思ってませんでしたよ…。
リッチな岡田美術館ありがとう。
箱根の急坂急カーブに酔いながらどうにか到着。

展示室に入ってから、三部作のもう一つである『品川の月』の原寸大複製画があることを知りました。
左から年代順に月、花、雪と並ぶかたち。
どれも縦2m横3mほどの巨大サイズなので、三つ並ぶととても壮観でした。すごい!
お目当てである『吉原の花』。
やっぱり三作の中でもずば抜けて豪華絢爛。
描かれた人数52人というのも去ることながら、金雲や鏤められた金箔、
着物や路傍の花の鮮やかな紅、其処此処に配置された桜。
桜に合わせて茶屋の建物も薄紅色になっているので、全体が「花」なのだと感じられます。
江戸吉原一番のイベントである、花見の時期の浮遊感も伝わってきました。
登場人物全員に表情や仕草があって背景が浮かぶっていうのも、流石ロマン派です。
そして吉原もの書きとしては、描かれた風俗の詳細が気になってしまいました。
茶屋で客を待つ(仲之町張り)花魁が一茶屋に一人ではなく、バッティングすることもあるなんて知りませんでした。
この画だと少なくとも三組の花魁一行が一つの茶屋に会してました。
しかも和やかに挨拶を交わしているところから、珍しいことでもない様子。
別の一行の振新や禿同士がお喋りしたり遊んだりもしてました。
後世の創作みたいにバッチバチでも無かったのかな。笑
余談ですが、「女の園は骨肉の争い!」みたいなテンプレは好きじゃないですね。
大奥は対象が一人しかいませんから生存競争として仕方ないですが、
吉原なんて疑似夫婦を愉しむ場だったし基本的に同時進行は禁止でしたから、
争う要素ってそんなに無いと思うんですよね。
妓楼=家みたいなもんですから、寝食を共にする相手といがみ合うより円滑に生活する方を優先するのが自然なのでは。
遊女数人で火鉢を囲んでお喋りしてる画とかもありますしね。
あと「素人女は一枚櫛、遊女は二枚櫛」ってのが定説ですが、この画には一枚櫛の花魁も居ました。
地位の低い遊女はこの限りにあらず、みたいなのは聞きますけど、
これは仲之町張りをするくらいですから相当地位の高い花魁のはずですが、
そんなに絶対的な決まりでもなかったんですかね。
「今日は貝髷だから一枚にしよ」くらいのノリっぽい。笑
その他にも
桜の木に掛かった短冊は何?
武家の奥方連中が吉原で酒宴をするのだろうか?
禿ではなく芸者の見習いのような少女は?
とか、不勉強もありますが気になることが目白押しでした。
資料本では分かり切れないことがたくさんあります。
そして複製であるものの、『品川の月』もとても見応えがありました。
というか…三作の中でこれが一番好きです。笑
一点透視のダイナミックで奥行きのある構図とか、「月」の控えめさとか、渋めの衣装とか。
妓楼の人々の生活感のある描写も好きです。
長い廊下で追い掛けっこする禿たち、足を投げ出して座りながら遊女に喋りかける内儀、
他の妓が書いてる文を後ろから覗き込んで舌を出す遊女。
人々の様子と背景の海や月が重なって、
この場所にこういう妓楼があったのだというリアリティが立ち上がってきます。
意外な収穫でした。
『深川の雪』は二度目ですが、他の二作と比べるとやはり最晩年の作品だけあって
所謂「歌麿」感が一番強いな、と思いました。
誇張した髷とか俯き気味の表情とか、どの人物も「歌麿の美人画」クオリティだな、と。
そして一番技巧的で考え抜かれた見やすい構図です。
人物描写、構図、細部と初回だけではなく何度観ても面白い。観るほど発見があると言うか。
三部作が時系列に並んでいると、作画の変化も見られて面白かったです。
漫画家さんの「連載初期と後期じゃ全然違うな!」みたいな感じ。笑
アイコンとなる描写はこの時期はまだ無かったんだ、とか。
歌麿でそんなこと思えるなんて何だか貴重。
いやー明治から100年以上行方知れずとなっていた作品に加え、
アメリカの美術館に所蔵されているものも併せて観られるなんて、本当にとても幸運ですね。
温泉も蕎麦もロープウェーも海賊船も無い箱根往復でしたが、行った甲斐のある作品でした。
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『冨嶽三十六景 奇想のカラクリ』を観て来ました。
http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/exhibition/katsushikahokusai全46点が揃い図録まで発売されるとのことで、
モノグサな私は当初、「混みそうだなぁ…」と尻込みしてました。
しかし、応為さんの代表作『吉原格子先之図』も展示されると追加発表。

不勉強で応為さんの名を知らなかった頃、吉原の資料本にこの画が載っていました。
美人画と違って人の顔が主題ではない、リアルな夜の吉原の陰影。
多くの人がそうであるように、私の心も動かされました。
実物を観たことがなかったので、これは絶対に行かねば! となりました。
行ったのは雨の平日だったのですが、わりと混んでました。
チケットと図録とグッズを買う人で、受付がくちゃくちゃする程度に。笑
なんと、展示の一発目が『吉原格子先之図』でびっくり!
まぁメインではありませんからね。
私の想像よりも実物は小さくて、本で見るより精緻な印象。
そして闇の色がはっきりと濃くて、明かりとのコントラストが際立っている。
後ろで見ていた外国の方も「Great shadow and lights…」と漏らしているのが聞こえました。笑
応為さんは画の対象にドライなところが、父親に似てるなぁと思います。
浮世絵の中で陰影を使う人ってほぼいないのでドラマチックに見えますが、
ドライだからこそ影を排しないというか。
着物の柄とかを詳細に丁寧に描くのも、女性ってだけではないと思うのです。
だってこんな画誰にも描けないよ! 笑
特別展示の作品ですが、見入っている人も多かったです。
やっぱりこの画の力はすごいですね。
そして冨嶽三十六景の全点展示へ。
有名どころだけではなく、流れを追えるのは有り難いですね。
皆さんもそのようで、『神奈川沖浪裏』の前に殆ど人が居ませんでした。
「北斎展」と銘打ってたら大抵いつも大混雑なのに…。
北斎のデッサン力がずば抜けてることは言わずもがなですが、
一枚絵にどれだけの躍動感を詰め込めるか、という「奇想」を、
確かに随所に感じることが出来ました。
『隅田川関屋の里』の馬が駆けていく様子なんて、まさに漫画的表現。

実際は三頭の馬が駆けているんですが、
遠近法を用いた一本道に並べることで、コマ送りみたいにも見えます。
北斎の中では平凡だと言われた構図の作品ですら、
水平線の湾曲や海に浮かぶ舟の配置にぴんと緊まった空気があって、
退屈ではありませんでした。
広重のような叙情ではなく、歌麿のようなロマンでもなく、
北斎の画は何処か乾いた緊張感があるように思います。
そして先日のヒストリアでも紹介されていた
『富嶽百景』の"海上の不二"も展示してあり、
個人的にとても嬉しかったです。

戯画的で可愛らしくてユニークな画ですよね。
余談ですが、この画像を探している時にカラー着色されたものがたくさん表示されて、
「これは白黒だからいいんじゃーーー」と若干叫びたくなりました。笑
神奈川沖浪裏に寄せなくてもいいのに。
北斎のドライで冷徹なほどのデッサン力に裏打ちされた様々な「奇想」、面白かったです。
一つの作品がテーマというのは、観ている方も気持ちが途切れず、とても良いですね。
記念に図録も欲しかったのですが、
あいにく懐が寂しくて買えなかったのが、ちょっとした心残りです。。
『吉原格子先之図』のポストカードだけ、買って帰りました。
馬の美術150選を観に行ってきました。
http://www.bajibunka.jrao.ne.jp/uma/event/event_20170804.html以前見てときめいた、『真夜中の馬』が展示されるとのこと。(記事「ピカソ版画展」参照)
検索してもポストカードどころか掲載されてる本も見付けられなかったので、
ここで見逃したらもうお目に掛かれないのでは? と思ったのです。
しかも北斎やロートレックやドガも展示されてるとか。
根岸に行くのは初。
地方出身者からすると「横浜」と言えば都会か新興住宅地しかないイメージなのですが、
根岸駅はかなり年季の入った小さい駅舎でちょっと予想外でした。
郊外とか地方感がある。
ホームから工場が幾つか見えたので、整備した土地が余ってる感じなのかな、と思ったのですが、
駅を出ると結構行き来のあるバスターミナルがあり、それも違う様子。
バスが駅前を出ると山というか高地が見え、「街の中に山があるなんて箱根みたいだなー」とか
呑気に思ってたのですが、バスはその高地をぐんぐん上り始めました。
えっここ上るの? 住宅街なの? 家の向かい崖だよ? 都会は土地が無いから?
というか高級そうなマンションがある…人気? そしてこの上に公園や博物館が??
と、かなり頭の中がこんがらがりました。
これは私が平地で育った所為です。街の中に高地や坂があるのが、肌感覚としてちょっと不思議なのです。
そして地方は土地が余っているので、所謂ハコモノは住宅街の外にあるイメージというのもあります。
競馬場も大きい公園も博物館も。
なんだか今までの私の街縮尺では測り切れない街でした。
坂を上り切って、博物館に着きました。
整備された公園の中の、小ぢんまりした建物。
しかし展示室は地下で、結構広かったです。
展示の序盤は厩図や合戦の屏風の他に、室町や江戸時代の鞍や鐙があったのですが、
とにかく装飾の細かさや華美さに驚き。
だって全面螺鈿とか金蒔絵とか銀細工とかですよ。
意匠や技術は素晴らしいですが、成金趣味が過ぎるというか。
サイトで触れられていなかった、広重の東海道五十三次の状態の良さにも驚きつつ、
展示の後半へ。
見どころとされる北斎の『馬尽』があり、摺物という少部数印刷の為か、
線の繊細さがよく分かりました。
そして次の区画は、馬に関する絵画がぎゅうぎゅうに展示してありました。
ロートレック以外にシャガールや東山魁夷もあるんですけど。
なんか絵よりぎゅうぎゅうさが気になってしまいました。笑
でも、お目当ての『真夜中の馬』はありません。
次の展示室なのか、と順路を進んで、廊下に出たところで呆然としました。
展示室ではなく、トイレの前に『真夜中の馬』が展示してあったのです。……嘘でしょ?
印刷物だから? 他の人の本の挿絵だから? 印象的な画風と違うから?
いや、何にしてもトイレの前って失礼過ぎる。
ショックで、せっかくの絵との再会に集中出来ませんでした。
悔しいので絵の前(トイレの前)を4回くらい往復して、ああこのページの装丁が可愛いと思ったんだ、
と反芻しましたけどね。
(こんな展示なのに写真撮影しちゃダメなのかよ、とか思ったことは秘密です)
見どころと銘打つなら、ちゃんとスペースを確保して欲しかったです。
あれじゃあ気付かずにスルーしてしまう人もいると思います。
次の展示室には馬の彫刻がいっぱいあって、
ドガのブロンズ像が群を抜いて躍動的で格好良かったです。
でも、「ここを詰めて『真夜中の馬』も展示してくれれば良かったのに…」と
気が散ってしまいました。
精神的にほうほうの体で物販コーナーを覗くと、『版画に表された馬』という本を発見。
見てみると『真夜中の馬』も載っていたので、買うことにしました。
本当は装丁を含めて好きなので、挿絵の部分だけクローズアップされるのはちょっと物足りないのですが、
そんなこと言ってたら二度と見られないかも知れないので。
まぁ私は『真夜中の馬』目当てだったのでこんな書き方になってしまいましたが、
こんな豪華な展示内容が入場料200円で観られるなんて、JRAの関連団体施設ならではだと思うので、
行かれてみてもいいんじゃないでしょうか。
あの、何処かの街に少しずつ似ているようで、何処の街にも似てない根岸の街を眺めて、
博物館に行ったら是非、トイレの前も忘れずに回ってください。笑
先日、また一つ歳を取りました。
何もない年は、なるべく何処かに出掛けるようにしてます。
去年は、初めて幕張のよしもとの劇場に行って迷ったり、滑り込みで期日前投票にも行ったりと頑張りすぎて、
後に大風邪を引いてしまいましたが…。苦笑
今年は三井記念美術館の地獄絵ワンダーランドを観て来ました。
http://www.mitsui-museum.jp/exhibition/index.html誕生日に地獄絵を観るってどんだけシニカルなんだって感じですが、
普通に気になってた展示だったもので。
地獄のグロさより、その絵の文化背景に興味があります。
神話とかもそうですね。
三井美術館が初めてだったのですが、まぁとにかく内装が豪華絢爛ですね。
明治の迎賓館風といいますか。
例に漏れず、私も圧倒されました。
その内装と水木先生の地獄絵の不均衡さが、最初は気になって仕方なかったです。笑
水木先生の絵が資料(地蔵十王図とか)に割と忠実ということもあって、
展示の前半は同じモチーフの繰り返しという印象でしたが、
地獄という概念が文化に浸透し発展して行った江戸時代の黄表紙や素朴絵などは、
やはり興味深くて面白かったです。
幕末なんて浮世絵では残酷絵が流行ってたのに、
それまでグロさを押し出してた地獄絵の方がポップでコミカルな画風になってたっていうのは、
なんだか不思議です。
皆グロさに耐性が出来ちゃって、他のアプローチじゃないと目を引かなくなったんですかね。
地獄という源氏名の遊女がいて、地獄絵をモチーフにした打掛を着てたっていうのも
初めて知りました。カッコいい。
余談ですが、江戸時代の女性の打掛って結構文化背景が出て面白いですよね。
数年前観に行った着物の展示で、江戸時代後期の大店の商家のおかみさんが
写実的な鷹をモチーフにした打掛を着てたっていうのを見て、
江戸時代の初期は、鷹なんて威厳を示す為に武家の床の間の掛け軸に描かれてたものなのに、
この頃になると商家の女性のファッションパターンだったんだなーと
時代の推移が分かって面白かったです。
今でいうヒョウ柄みたいなものでしょうか。
比丘尼が女性の落ちる地獄を説いた絵は、やっぱり引っ掛かりました。
子供を産まなかった女性、再婚した女性などが地獄に落ちるという。
私は正しい仏教徒じゃないので、
なんでそれを罰せられなきゃならないんだと思ってしまいますね。笑
まあそれまでの地獄は男性用って感じだったので、
概念が発展した結果というのは知ってますが。
だって知らない超絶イケメンの為に刃の葉の木を上り下りする女性なんて、
あんまりいなさそうですもん。笑
他にもキリシタンと思しき女性が罰せられる側ではなく祈る側として登場していたり、
霊峰立山の下に地獄があるとされてたり…。
見ないと分からないことが沢山あって面白かったです。
しかし、キャプチャーが非常にざっくりしてたのが、ちょっと気になりました。
画材が書いてなかったり、「江戸時代」とされてたりとか。笑
私立の美術館はそういうものなんでしょうか。
とにかく、今までになく地獄に触れた誕生日でした。
先月、山種美術館の水の音展に行ってきました。
水に関する「日本画」や「浮世絵」の展示だったのですが、同じテーマで様々な時代の作品が並んでいるのは、
なかなか面白かったです。
浅見ですが、明治以降の作品を指す「日本画」は、やはり対・西洋が根底のテーマなんですかね。
例えば、西洋画の技法を如何に採り入れるか。
平安の合戦図に遠近法を用いてみたり、滝のダイナミックさを抽象的な直線で表してみたり。
もしくは、江戸以前に真理を求める。
屏風という画材を選んでみたり、水墨画などの画風に立ち返ってみたり。
何となく、杉浦日向子さんの
「時空を越えたロマンの対象としての江戸」という言葉を思い出します。
彼女曰く、私たちは「維新、震災、戦災を経て、江戸を体験した人達と接触を持ち得ない、隔世の世代」です。
だから日本画は、客観の視点を感じるんでしょうか。
それの進化形が千住博さんの滝シリーズなのかな、と思います。
イエローやグリーンやパープルなど、カラフルに着色された滝の絵はとてもデザイン的で、
日本的な題材と西洋的色彩が融合してます。
完全に海外に向けた、「日本的」デザインだと思います。
(逆輸出ジャポニスム?)
でも併せて展示されてた広重の浮世絵も、すごくデザイン的な構図なんですよね。
しかも浮世絵自体、とっても薄利多売な商品だったし。
私は広重ブルーのグラデーションも、千住さんの「光」の瑠璃色も好きです。
しかしいつもの如く、「光」のポストカードはありませんでしたが。。。
余談ですが。
行きに、恵比寿駅から思いっきり道を間違ってしまいました。
広尾方面に行く筈が、気付いたら代官山の辺りに…。
「駒沢通りを真っ直ぐ行って歩道橋を渡る」というルートだけ覚えていったのですが、どっちも同じ感じの道があったんです。
そりゃ同じ駒沢通りですもんね!泣
ただでさえギリギリに家を出たのに、間違いに気付いたのは入場締切の20分前。
ナビによるとそこから歩いて約20分…。
どうにか滑り込んだのは締切4分前でした。
せかせかとオシャレピープルの合間を縫った甲斐がありましたよ!
振り返ると恵比寿に行くと大概道に迷ってる気が…。
なんでだろう。