観に行って参りました。
若干ネタバレかもです。
土曜は混むだろうからと午前中に行ったのですが、既に沢山の人出!
流石ですね。
大回顧展の名に違わぬ作品数で、区画割の苦心が偲ばれました。笑
その量産性も彼の「作風」なんでしょうね。
モンローや牛の蛍光色は、今でも目が痛くなるくらいケバケバしかったです。
一番好きだったのは菊のシルクスクリーンですね。
物憂げで綺麗で。
私的には紫や青って結構菊のイメージでしたね。秋の花だからかな。
しかし展示の其処此処にあった「ウォーホルの実像とは?」みたいな投げ掛けが若干気になりました。
何に関しても確固たる唯一無二の「実像」なんて無いと思ってるので、ひとつの説以上の断言はあんまり好きじゃないんですよね。
しかもウォーホルはそれすらショービズな感じだし。笑
わざと言ってるんですかね?
私は有りがちですが…カラフルなキャベツみたいなイメージです。
真ん中に何かが座しているというよりは、一枚一枚の彩りのエンタメ性。
そういや、何でタイムカプセルは日本に関する物だけ別に展示してたんですかねー。
何と一緒に詰めてたのか知りたかったなぁ。
深い意味は無さそうだけど。笑
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観に行って参りました。
興味深かったので、2回ほど。
当初の目的は、ド王道ですがミレイの《オフィーリア》でした。
数年前まで『草枕』よろしく
「何であんな不愉快な所を択んだものか…」とか思ってたのですが、
作品背景の解説に触れる機会があり、興味を持ちました。分かりやすい奴。
いやこれは敢えて、感性の貧弱さというよりも
知識の間口が拡がったのだ、と言ってあげたい。苦笑
実物は印刷よりも、少し死の色合いが濃かったです。
それによって死に傾いている訳ではなく、
危うい均衡が保たれているように思えました。
緑と枯木。花々の鮮やかさと流れる水の無常。虚ろながらも光を保つ瞳。
目の当たりに出来て、良かったです。
《オフィーリア》は展示の序盤にあったので
これで自分の山場は終わりだな、とか思ってたのですが、
そんなことは全くありませんでした。
ラファエル前派の作品群は描写が精緻で写実的であり、
宗教や文学などの伝統的なモチーフも多いので、
何も知らないで見たらとても「正統的な絵画」に思えます。
けれどその中には形骸化した伝統に対する批判精神が多分に含まれていたと知ると、
俄然興味が沸きました。
私が特に惹き付けられたのは、ロセッティの
《見よ、我は主のはしためなり(受胎告知)》です。
処女懐胎という目前の出来事に
拒絶とも放心とも戸惑いともつかぬ、それでいてその全てのような表情をしたマリアは、
まさに少女そのもの。
私はキリスト教徒ではないのでその表情のリアルさが素晴らしいと思いましたが、
当時のヨーロッパの「正統派」画壇からは
聖母をそこら辺の少女と同じように描くなんてけしからん!と大批判されたんですよね。
いやーあのリアルな少女がマリアであることにこそ、とても意味があると思うんだけどなぁ。
解釈を限定されるのは、芸術表現において多大なる
迷惑です。
ひとつしか要らないのなら、新しく創る意味なんてないですもんね。
《両親の家のキリスト》と習作との対比もなかなか面白かったです。
本作の方がより脱聖家族的なんですよね。
それ以外にも、《安息の広間「疲れし者の安らぎの場」》も《我が家で過ごす最後の日》も《1858年10月5日の思い出》も…とにかく色々好きです。
多分この展示は、今の私と波長が合ったんでしょうね。
調子に乗って図録も美術手帖の増刊も買ってしまいました。笑
でも唯美主義は私にはあんまりぐっと来ませんでしたね…。
(余談ですがロセッティって歌麿に似てるかも…とか思ったり。
ロマン派でキャッチーな構図とか、美しさが最優先なところとか。)
私は絵画に限らず、読み解けて拡大解釈出来る背景があるものが好きなんだと思います。
折角買ったので、図録や美術手帖で背景をもっと勉強してみます。